城主
|
刈田左衛門尉経元(後、刈田氏は白石氏と改氏、伊達氏旗下)後、白石氏居城
→ 屋代勘解由兵衛景頼(伊達氏家臣)
→ 蒲生源左衛門郷成(蒲生氏郷家臣)
→ 甘糟備後清長(上杉景勝家臣)
→ 石川大和昭光(伊達政宗家臣)
→ 片倉小十郎景綱(伊達政宗家臣)後、片倉家居城
|
築城
|
寛治年間(一○八七〜一○九四年頃)
|
住所
|
宮城県白石市益岡町
|
説明
|
白石城はいつ頃から城があり、それが誰により築かれたかは、必ずしも明確ではありません。しかし、江戸時代のいずれの史料もひとしく、最初の城主が刈田(藤原)左衛門尉経元であり、寛治年間から居住していたとあります。
今の白石城の原型を築いたのは天正一九年(一五九一年)旧芦名領等を秀吉から与えられた蒲生氏であると考えられています。
元和元年(一六一五年)六月、大阪落城直後、徳川幕府の「一国一城令」でも白石城は破却を免れました。これは異例のことであり、ただ一人、伊達政宗だけに二城が許されたことになりますが、経緯は不明です。伊達政宗の政治力とも、片倉景綱が城主であったためとも憶測されています。そのため片倉氏は天守閣と呼ばず、公式的にも大櫓と呼称しています。
文政二年(一八一九年)の火災後、文政六年に復元され、明治七年七月「明治の廃城令」により民間に払い下げされ、解体されましたが、平成七年三月に再度、木造建築として完全復元されました。
|
白石城の大櫓を見学するのには入城料がかかります。資料館の入場料と武家屋敷の見学料が一緒になっているものもありますので、そのほうがお得(?)でしょう。大櫓に入ると、頼んでもいないのに係員の方が城の構造から壁の構造まで説明してくれました(笑)。たぶん、その時の入城者が私たちだけだったからでしょう。大櫓最上階からの眺めは、訪れたのが夏だったこともあり、とてもすばらしいものでした。
資料館では白石城の復元模型や、片倉家ゆかりのものが展示してありました。館内には日本全国の天守閣の写真も展示してあり、お城に興味がある方には一見の価値があるのではないでしょうか。また、3階には映画館(?)があり、鬼小十郎と呼ばれた二代城主重長と、後妻、お梅の方(真田幸村の娘)の物語が視聴できます。しかも、ナレーターは渡辺謙、父・景綱役は宍戸錠で、特別な眼鏡を使用しての3D画像です。その分、いくらか見づらいです(笑)。
白石城は宮城県では唯一の天守閣と言えるもので、平成七年の復元直後、この城を見学したことにより、私は城に興味を持ったと言える、思い出深いところでもあります。
|